精神論がもたらす不幸について
人生思い返すとずっと続いたことがない。
これという成功体験もない。
自分ってなんにもない。
そう思っていた数年前。
何も続かないのも、成功しないのも、自分は怠け者で根気がないからだと思っていた。
他のみんなはああして頑張れるのに自分はそれができないと思っていた。
そこでべつにいいじゃん、それが私じゃん。と思えたらそれはそれで幸せかもしれない。
でも、私はそうは思えなかった。
人生で一つくらい続けられるものを見つけたい。
一つくらいサクセスストーリーを持ちたい。
そう思っていた。
思ってトライしても続かない。ダメな奴だと落ち込むループ。
ここでダメなのはなんだったろうか。
答えは論理的に考えることだと思う。
どうすれば続けられるのか、どうすれば成功するのか、その具体的な方法を考えた。
私の場合で言えば、
・続けるために誰かに管理してもらう
・小さな区切りとして、小さな目標を設ける
・小さくてもいいからとにかくなにかを成し遂げる
さらに具体的な話にすると、
・中国語教室に申し込む
・一年通い続ける
・HSK4級に合格する
こんな感じ。
1年コースで申し込み、何となく通っていたら通うことができた。
HSK4級については1年も中国語教室に通っている人にしては多分レベルが低い。
でも、もし少し上を目指して落ちていたらまた成功体験0のままだ。
私にとって大事だったのは小さくても成功体験が1つでもあるということだった。
これを通して学ぶべきことは、
①続けられるかどうかは環境や仕組みでも変えられること。
②出来そうなことをやってみて、少しづつ階段を上ること。
私がそうなので思うのだが、成功体験がないという人はいつも無謀なチャレンジをしている。
それは何故かというと知らないからだと思う。
試験で言えば、これくらい勉強すれば合格できる、のこれくらいの感覚を知らない。
合格したことがないから見積もれない。そして、人は都合のいい情報が入ってきやすいから都合のいい計算をしてしまう。
だが今回、合格を体験したことによってあれくらいの勉強で合格できるのかということが分かった。次もそれを生かすことが出来る。
私もまだ始めたばかりだから偉そうなことは言えないが、
勉強でもダイエットでも仕事でも家事でもなんでも精神を責めるより論理的に考えることが精神衛生的にも現実的にもいいことだと思う。