寒い日ほど空気が澄んで光が美しい

だんだん寒くなって、夏は通り過ぎてった

で始まるきのこ帝国の金木犀がすきです。

 

もう冬がきてるなあと思うほど寒くなってきたけど、昼はまだ窓全開にしても凍えません。

 

冷たい空気が入ってきて気持ちいいので窓全開です。

 

太陽の光も寒い日のほうが綺麗でカーテン全開窓全開で過ごしたくなります。

 

最近、心理学者アドラーに関する本を読んでいたとき、

「私は怠け者だから、なんとかなんとか自分のケツを自分で叩いてやっと人並みになった

、と思っている人はその方がかっこいいストーリーだからそうしているのかもしれないぞ?」

みたいな内容があり、ほほうと思いました。

 

人は困難の中のサクセスストーリーをかっこいいと感じるし、たしかにそういうことはありそう。

就職面接でも今までで1番辛かったことを聞かれたし、それをどう乗り越えたか聞かれたし、何かしら七転び八起きみたいなことがあって人は成長するという思想がありそう。

 

そんなことを考えながら。

You Tubeホリエモンちゃんねるをみて、ザコキャラほど難易度の高いことをしたがる。成功への最短距離をほしがる。と話していてなるほど〜とまた思いました。

 

何に植え付けられた思想なのかわかりませんが、私達は困難に立ち向かい成功することへ憧れを持っています。

実際にあるのはドラマのような困難ではなく、毎日のごみ捨てのように面倒くさい小さな困難。

 

それを続けることのほうが面倒くさいから、ドラマを求めるんだろうなあ。

 

最近はとてつもなく無気力で全部とうでもいい時期に入ってしまって、考えてことを垂れ流すことしかできない。

深夜の発作に慣れてないと大失態しちゃって、失う幸せ大きすぎるから

深夜にすごく気持ちがぶわあっときゅうううっとなることがあります。

 

突然の気持ちの発作。

 

抑えきれず、その時1番連絡しやすい相手にその思いを吐露してしまうこともあるでしょう。

 

しかしながら、相手は所詮他人。

どれだけ親しくても他人です。

二人の人間がひとつにはなれないし、それぞれ違う時を生きているし、感情だって共有していません。

 

なんの前提もなく、突撃訪れた相手の思いを処理しきれないことだって普通です。

 

 

誰も悪くないけど、そういうことってあるよなあと思います。

どれかの恋愛観にはめたくもない

群れるための恋愛が存在する。

 

群れるために恋愛しているふりをする。

 

群れるための恋愛は、メジャーな恋愛説明書に則って感情を動かしていく。

 

のぼせ上がってみたり、駆け引きしてみたり、ロマンチックに浸ってみたりする。

 

そしてまた新しい恋愛観が発表される。

群れたい輪のほうへ移っていく。

 

本当に二人だけの世界なら私たちはどう過ごすだろう。

はじめてのお見合い

産まれて初めてのお見合いをした。

 

彼が多趣味をアピールするので、それに対して私がインタビューするような形になった。

 

彼に、大して興味があるわけでもないのに質問するのはとてと労力がいった。

 

彼は私にあまり質問してこないので余計に疲れてしまう。

 

彼の眉毛の毛並みを見ながら時間が過ぎるのを待った。

 

そして、酒に酔ってロマンスするのが好きな私にお見合いはあまりにも向いていないことを知った。

 

何年か前に人生で一度はお見合いしてみたいな〜と行っていた私の望みは叶えられた。

 

それだけで良しとしよう。

アンダーグラウンドに触れて心休まる

小学生まで自分の好きな理論に則って振る舞うことが出来ていた。

 

好きなことを言っても良かったし、自分が正しいと思う行動をとって良かった。

良かったというか、そう出来る環境だった。

 

中学校に入って、見知らぬたくさんの人に囲まれた。

みんながせっせと仲良くなって、私はなんとなく好きなことが言えなくなった。

部活に入るとさらに好きなように出来なくなった。

部活のコーチはとっても怖くて、悪口を言ったのがバレただけで怒られ部員全員で話し合いをさせられた。

一人ずつ悪口を言ったか申告し、懺悔させられた。

 

今となってはおかしくない?と思うが、初めで怖い大人に出会い洗脳のようにそのまま受け入れるようになった。

 

人と仲良くするのも億劫になった。みんなが楽しい話題が楽しくなかった。無難な返答が出来ない自分が嫌になった。

 

一人で黙々と本を読むようになった。

 

高校に入って、中学にも増してびくびくするようになった。

目立たぬようにそれなりに友達を作り、誰かと一緒にいたが無難なことを言うのに必死だった。

 

大学生になった。大学は広くて人がいっぱいいるから少し多様性が許されるように感じた。

 

少しだけ好きに過ごすうちに、変わってる子になった。だんだん変わってる子を演出するようになってまた息苦しくなった。

 

息苦しさを吐き出せる友達が一人出来て、なんとか心を保ちながらも、また集団から離れて一人なった。

 

社会人になった。人との交わりが薄くなるほど息がしやすかった。でも会社で権力者に緊張する日々に疲れていた。

 

2年くらい経つと同じ場所にいられないようになって転職した。

 

大人になると、今まで行かなかった場所にも行くようになる。

夜遅くまでやってるバーや、オカマバーなどの特殊な場所は私を安らがせた。

 

客として行っているせいかもしれない。

 

とにかく、お酒を飲んでゲラゲラ笑っている空気の中にいると安心した。

 

普通の会社に務められない人のエッセイも好きだった。

 

だけど、そういった世界に安定はないと思っていた。

 

私は安定を捨てられず、誰も心配しない失敗したと思わないような会社を選んで務めた。

 

何も捨てられなかった。

自分のわがままも安定も捨てられなかった。

 

 

天気の子みたよ

最近現実とばかり向き合ってたから、

ファンタジーな映画を見て、

少しファンタジーな気持ちで生きることの楽しさをに思い出しました。

 

寝不足の感情がうまくコントロール出来ないときの好きな人との喧嘩みたいな非日常を思い出したりしました。

 

まだ公開したばかりなので話の内容に触れたくないので、ただただ私的な感情だけ書きます。

 

最近、老後2000万円の話などで現実に向き合ってみるもののただだ不安になる人も多かったのではないでしょうか?

 

実際私達は現実で生きねばならないので大事なことだと思います。

 

ただ、生きてて全然楽しくない不安ばっかりっていうのも何なんでしょうか?

 

もはやいつでも楽に生命を終わらせられる薬を配ってもらってもっと楽に生きたいよレベルで不安ばっかりです。

これって何なんでしょうか。

誰のための何の時間なんでしょうか。

 

等と考えるくらい、少し現実との距離を取ることが出来ました。

キャラクターの表情の動きがとても素敵でした

 

全部どうでもいいときは、自分を大事にしてないとき

先日、久しぶりにがはがばお酒を飲んで、

いろんな男の人に絡んではセクハラしてしまったのだけど(相手も嫌じゃないことは確認しつつだけど、セクハラだったかもしれない)

 

その帰りからずっと、全部どうでも良くなってしまった。

 

自分を安売りしたわけじゃない。

嫌なことをしたわけじゃない。

そういう虚無ではないけど、とにかく全部どうでも良くなってしまってどうすればいいかわからなくなった。

 

次の日は仕事だった。

普通に仕事に行ったけど、全部どうでも良くて、人と話すのも億劫だった。

 

なんとなく、急に頭に浮かんだことは私は自分の価値を感じてないんじゃないかってことだった。

思い返しても、自分が女であること以外の価値を感じたことはあんまりない。

 

それでも、幸せに生きれている瞬間もあった。

 

最近節約のためもあって自分をあまり大切にしなかったから余計こうなったのかな、と思い、ひとまず次の休みはネイルに行くことにした。